【前編】何人たりとも私を助けさせてなるものかと意地を張っていた~カウンセラーの私が体を扱う理由~

未分類

今日は、なぜ心理カウンセラーの私が体のケアを取り入れているのかについて、過去を振り返りながら書いてみたいと思います。
一部、低~い波動が出ておりますので、心配な方は前半を読まず、後編に飛んでいただいて大丈夫です!

***

私の半生は”ザ・孤独”。

孤独の申し子
孤独の権化
孤独の世界記録保持者
孤独の元地球代表

でありました(笑)

友だちもいたし、
学校も行っていたし、
部活もがんばっていたし、
一見、孤独って感じには見えなかったと思いますが、
私の心はいつも孤独で、
それがバレないように表面を必死に取り繕っていたんです。

小さい頃、
助けてほしかった
優しく温かく守ってほしかった
気持ちを丁寧に聞いてほしかった
という思いが叶わず、

それならばと、
誰のこともアテにしないし
誰のことも信用しない
という生き方になりました。

誰の力も借りず、
自力で解決してきたという自負があり、
それこそが私のプライドでもあったわけです。

今思うと、
ものすごい怒りのエネルギーを使って、
自立してきた人間だったんですよね。

それは
私を守り助けてくれなかった人たちへの、
ひいては世の中全体に対しての
私なりの復讐だったのだろうと思います。

心理学で言うところの「復讐」には、こんな意味があります。

自分が幸せにならないことで
相手に罪悪感を植え付けようとするもの

復讐をエネルギー源としていた当時の私としましては、

私、困ってないですから。
私、全然平気ですから。
誰の助けも必要ないですから。
自分でできますから。

“あなたが”それを私に望んだんでしょ?
“あなたの”望み通りに、私、なってあげましたよ?
ほら、満足でしょ?

私の人生ボロ雑巾ですけどね。

ってなことですよ。
こわ~!こわ~!

悲壮感を漂わせて(←ここがミソ)、
「私は大丈夫!」と言って
誰も寄せ付けない
みたいな感じでしょうか。

あなたのせいで私こんなになってるの、
とはハッキリ言わないけれど、
周囲に察知させよう・察知しろよ、
という魂胆が透けて見えますなぁ。

そして、
反省しろ、後悔しろ、責任を感じろ、
私を苦しめた罪でお前らが一生苦しめ
みたいなどろどろの念を飛ばす…。

呪いのできあがり(゚Д゚;)

客観的に見れば、
誰かが向けてくれる親切や優しさも
あっただろうとは思います。
それをちゃんと受け取って幸せになるほうが
いいに決まっているんです。

だけど私は、
表面的には当たり障りのない応答をしつつ
心の奥では絶対に受け取りませんでした。

受け取ると不幸じゃなくなってしまうからです。
受け取るわけにいかないんです。

私が幸せになると復讐できなくなるから、
私は孤独でい続けないといけなかったんです。

復讐することで相手に執着している状態なので、
自分が幸せになる選択肢が却下されてしまうんですよね。

だから
「私には助けてくれる人が誰もいない」
という苦しみが終わらない。

私の場合は特定の個人というよりも、
もはや社会に対する怨念レベルの執着💦

社会は私を必要としてないんでしょ?
私なんかいてもいなくても、
誰も何も困らないんでしょ?
って、完全にふてくされて
神様に中指立ててましたよ…

裏を返せば、それだけ、
受け入れられたい、
安心できる居場所がほしい、
人とつながりたい、
と強く思っていたということ。

本当はずっと寂しかったんです。

孤独がイヤで苦しんでいるくせに、
どんどん自分を孤独にしていくこの矛盾よ(笑)

(後半へ続く)

この記事を書いた人
あべ先生

公認心理師、特別支援教育士、AGOメソッド®セラピスト、教育学修士。
障害児教育を専門に学び、公務員心理職として教育委員会に10年以上勤務、延べ3,500件の発達相談に対応。不眠を訴えるクライアントがボディケアで眠れるようになった経験をきっかけに、心の問題に対する体へのアプローチの有効性に関心を持つ。現在は、心理カウンセリングと自律神経を調整するセラピーを併用し、心と体をトータルにケアするサービスを提供している。

フォローする

アーカイブ

カテゴリー

未分類

コメント